
旧青木家那須別邸

さてお次は道の駅「明治の森・黒磯」の敷地内にある、「旧青木家那須別邸」に行って参りました。
なんと大人200円、小学生から中学生までは100円という、お値段で明治時期に建てられた貴重な建築物を青木周蔵にまつわる解説と共に見ることができます。
外観から美しく、目を惹きます。
設計したのは、あの有名な岩倉使節団ともに留学生としてドイツで建築を学んだ、「松ケ崎萬長(まつがさきつむなが)」。
青木家別邸は「松ヶ崎萬長」が設計した建築物の中で、唯一現存するものとなります。

中に入ると当時の内装そのままに、見ることができます。豪華な調度品の数々は、100年以上の時を経た今でも、綺麗な状態。こうして現代まで残され、実物が間近で見られること自体幸運なことです。

また青木周蔵の子孫より贈られた当時の写真も展示されています。
こちらは伴侶であるエリザベートと、自身の孫ヒサと共に撮った一枚。
水路で遊んでいる際の風景とのこと。
水路にいくとついついやりがちなポーズですよね…。このような日常の写真を見ると、俄然その人柄に興味が湧いてきます。
さて青木周蔵は明治という激動の時代に、外交官として活躍してきた、日本の近代化の基礎を築いた人物です。
有名な「鹿鳴館外交」を井上馨と共に行ったのもこの方。
鹿鳴館外交は望んだ結果を出さずに終わりましたが、以降はイギリスとの関係構築に最優先に取り組み、「日米通商航海条約」の締結まで漕ぎ着けました。不平等条約改正を為した、歴史的立役者の1人です。

こちらは青木周蔵が書いた、書簡の一部です。
このように青木家別邸では青木が残した書簡の数々を生で見ることができます。
書かれた時代によって筆跡が変わっているらしく、これは青木周蔵の書に対する熱意と習練が生んだ変化とのこと。見るのは一瞬ですが、その背景には数十年という、当時を生きた人間が辿った長い歳月が流れていることを忘れてはいけませんね。
また青木の苦悩も所々に滲み出ており、当時を生きた人物の内面に触れることができる貴重な展示物でした。
以上「青木家別邸」のご紹介でした。明治の激動を生きた青木周蔵の遺物の数々。是非、足を運んで見てみて下さい!